剣舞プロジェクトも5回目。
狂宴哀歌が無事終了いたしました。
お陰様で沢山のお客様にご来場いただき、千秋楽は5回のカーテンコール、スタンディングオベーションを頂きました。お客様が受け取ったものを、僕らも教えていただいた様な気分です。
パンフレットの前書きでは書き尽くせなかった言葉を綴ります。座組みの皆には、打ち上げで「感慨深い」と言った中身を書き綴ります。
今まで剣舞プロジェクトの持ち味でもあった、生演奏のミュージカル、というブランドの看板を今回下げて取り組むところから始まりました。
というのも劇場にオーケストラピットが無い、舞台上のエリアを削ると美術や殺陣に大きく制限が出てしまうからでした。これは苦渋の決断でした。
それと同時に剣舞さんでの新しいチャレンジでもありました。
生演奏は迫力もありますし、歌い出しのタイミング、キーの上下など、色々な事にフレキシブルに対応できます。ですが、それらが封じられた状態になるわけです。
生演奏がなくても、感動する作品になるかのチャレンジ。と個人的には思っておりました。
主演の徳山さんにも「生演奏にしよう」と勧めていただいたのですが、今回は役者のエネルギーに賭けてみたかったのもあります。
そして、生演奏でないとなると、”打ち込み”という音楽をPC上で完成させる作業での完成になります。幸運なことにいつも生演奏でやらせて頂いていたので、細やかな所まで作らずともミュージシャンとリハーサルで音楽を作れました。これは良くも悪くもでした。だから、僕自身の挑戦として、端から端まで音楽に追求をしてみたいと思いました。
剣舞の台本の作り方は特殊で、稽古が進む中、役者の最も映えるであろう台本を書き上げるところにあります。
当て書き、と俗に呼ばれたりしますが、それが稽古を始まっても進行していくのです。歌が得意な俳優には歌のソロを、芝居が得意な俳優には芝居を。これは当然ですが、時間も労力もかかります。
音楽の作成も完成してシーンから、となります。ただ、音楽で強い音楽が生まれることで台本に影響を与えることもある。そんな手間をかけながら作りました。
正直、楽な戦いではありませんでした。稽古の佳境になる4月最終週の仕事の時間は10時28時(朝の4時)これが一週間続きました。
そんな中、新撰組シリーズで必ず歌って頂いているナンバー「侍」のアレンジ作業に入った頃でした。今なら昔の侍を超えられる。構成を大幅に変更しての作成でしたので、ほぼ新曲のボリューム感。
アレンジも中盤に差し掛かった、曲でいう後半の最初の方に当たる所、そのアレンジをしている最中でした。悩まず音を選ぶことができる、すらすらと音が出来る。不思議でしたが、作りかけを確認の為再生して聞いてみました。するとどうでしょう。僕の目の前には、いつも演奏をしてくれていたミュージシャンの姿が見えたのです。
彼らは、僕が侍の作品を作るにあたって全身全霊で取り組むことに付いてきてくれました。一音に込める魂、その時の表情、泣きながら音楽を奏でる様。
気がつくと涙が流れていました。ああ、このすんなりと出てきた音は、彼らが僕に刻み込んでくれた音なんだなと。僕は一人になって気付きました。一人で作っているつもりの音楽は、僕一人のものではなかった。みんなの音楽になっていたんだと。
僕のやり方に合わないミュージシャンも多くいました。命がけで演奏しろだなんて、そんな事求められる事じゃないし、割に合わない。やり方が厳しすぎる。もう印南さんの所ではできない。
そうして離れる人々がいる度に、傷つき、このやり方でいいのだろうか、と悩みました。
それでも、改善できる事は改善して、これからもそのつもりですが、作品に対して向き合う、姿勢は変えてはいけない。
きっと、僕が、割に合わないからといって手を抜いた作品を作ったら、適当に演奏してと言ったら。
付いてきてくれたミュージシャンは落胆するでしょう。
そういうことをし始めたところから、作曲家としての道も下降していくと思います。
今回はミュージシャンの有り難さを痛感しました。それとともに、剣舞の可能性もです。
生演奏に頼らずとも、5回のカーテンコールをお客さまから引き出す。そんなエネルギーを持った作品を作ることが出来る。それを証明してくれました。
そして、初めて剣舞プロジェクトの作品を客席から観ました。色々な想いがこみ上げました。
お客さまにエネルギーを持ってぶつかりに行く様には、これからの若者の可能性を強く感じました。
役者の皆、話す時間は足りなかったけど、ここで言わせてください。感謝しています。僕の曲は僕にとって子供のようなものです。順位なんてつけられない。そんな子供たちが生きている瞬間は、舞台上で歌われている時だけです。
僕の子供たちを輝かせてくれてありがとう。
最後に
挑戦はいつだってできます。ですが、若いうちにほとばしる情熱を、エネルギーを爆発させられるのは、そのエネルギーがある、若さの特権です。エネルギーは質が変わっていき、技術を磨くことで表現も変わっていくでしょう。荒さもあるし、時にはぶつかることもあるでしょう。
ですが、その時にしかできない全力とは、後になってみれば無知だから、技術が未熟だからできた表現だと気付きます。最初から技術だけを追い求めても、情熱が枯れれば辞めてしまいます。
心のない表現は、自分も、人も痩せ細らせます。
命を燃やしてください。その先どんな道を選択しようとも、その経験はあなたを勇気付け、助けてくれ、時には仲間ができます。そしてその先のやりきった気持ちを謳歌してください。
そして、少し休んだら、また走り出して。磨きましょう。
その先の道で会えるのを楽しみにしています。
印南 俊太朗